ビアカウンセリングをドルに

ドルはニャーンに

両親の不仲もあって「解離性家族」といってもいい状態だった。唯一、気が休まり心落ち着くのが、「良にい」と祖父といる時だった。それなのに「良にい」は突然いなくなり、祖父もはたん死亡した。その直後から彼の精神は破綻する。そして別の彼が現れはじめる.。図式化すれば、こういうことになる。「手の障害」←「解離性家族」←「多重人格」宮崎の生活史を追う作業は、被告が持っているであろう病理の根を探す作業でもある。したがって見方によっては、彼に同情的な所(しよさ)作にも映るだろう。その作業ももちろん大切なのだが、やはり次は、凶悪な事件を起こしたその当時の心理を見てゆかねばならないだろう。一体、「ぼわ-ん」とした彼の中からいつ、どんなきっかけで、「ハイド氏」が出てくるのか。キーワードは、これまでにも何回か出てきた「ネズミ人間」である。

交際クラブの機械類が人間の筋肉の力を拡大するものだったのに比べ、コンピュータは頭脳を拡大する道具として、人間の考える領域にまで入ってくる。だから、正直に言うと、なんだか少し気味が悪い。たとえ、わが家では、収入があるたびに電話が鳴って、受話器を取ると銀行のコンピュータが話しかけてくる。ときどき冥界から通信を受けているような錯覚をするときがある。銀行の電話は一例だが、われわれの身近かで最も先端技術の影響を受けつつあるのが電話、もう少し広く言えば電気通信である。これを書いている時点で、日本電信電話公社は、まもなく日本電信電話会社になろうとしている。なってからも事情は同じなはずだが、われわれ一般利用者は、なぜいまさら電電公社を私企業にしなければならないのか、よくわからない。

大まかな概算でもたぶんそれほど的をはずした結果にはならないだろうし、この概算を改善しようとして時間と労力を浪費する価値はおそらくないだろう。完壁主義は善良の敵という諺があるではないか。このアイディアはあたりまえのように思われるかもしれないが、これが第二番目のアイディアへの道を開くのである。つまり、「近似合理的な」人はかなりいい見通しをつけるが、利用できるすべての情7 報を利用しようとすることはない。そのような人は、多くの経済理論が前提としているような理想的な合理的経済人とはかなり違った行動をとるかもしれない。特に、経済政策に対する反応はかなり違うかもしれない。アカロフの論点は具体例を示すことで最も明らかになるだろう。ある政府が一時的に支出の拡大を計画したとしよう。

しかし、問い質しても、「してないよ」と言うのだから、それ以上詮索しても仕方ない。もっと詰め寄って「した」と答えられたりしたら、自分もみじめになる、ということで、浮気の事実はないことになってし、だから、核の持ち込みと浮気とは、この国の国民にとっては、同じ次元のことになる。聞かぬが花なのだ。国民全員が「あの夜も帰ってこなかったし、次の日はくたびれていたし、やっぱり三部だれからも信頼されない大国日本絶対浮気しているにちがいない」という状況証拠をずっとかかえこんだまま、なぜか口をつぐんでいる。まことに珍重すべき国民である。不信をかつただけの北朝鮮訪問中東問題で日本中が揺れ動いている最中に、自民党の金丸信元副総理が突然、北朝鮮に出かけるという不可解なできごとがあった